8J・8Nといえば記念局かせいぜい南極...というイメージがわきがちでしょうが,かつて一回だけ,『北極』用に免許されたことがあります. CQ誌1978年3月号の『CQロータリー』から:
岡島成行OMの個人コールはJK1KZWです.
傍証を探していたのですが,『北極をめざす野郎たち』(1978年,読売新聞社会部編,読売新聞刊)という本が見つかりました.
アタック隊の移動経路は以下のようなものです:
1978年3月12日に「ヘクラ岬」を出発し,4月28日に極点に到達しています.
ちゃんと免許されていたのでした:
「カナダ政府が8J1NPを免許した」ようにも読み取れますが,そうではなく,「日本のアマチュア局8J1NPをカナダで運用していいとカナダ政府が特別許可した」ということでしょう.
8J1NPは,極点へのアタック隊ではなく,ヘクラ岬のベースキャンプに設置されたようです.
その外観の写真がありました.
三エレの八木アンテナが確認できます:
中の様子です:
奥右上に『日本大学 北極点遠征隊 無線室 8J1NP』という掲示があります.
さらに操作卓の下で,相手方のコールサインが読み取れます:
・JA1YJR …… NTVハムクラブ
・JF1YPG …… 東京読売アマチュア無線クラブ
・JH1E …… (消去法でいくと日大の関係者でしょうか.
あるいはJH1EPL中川清氏か?S42年にヨットでサモア・タヒチ・ハワイへ.
〔アマチュア無線のあゆみp.436〕)
このテントは,極点到達を報じた際の読売新聞本紙の記事にもコールサイン込みで写っています.
もしかしたら,記憶に残っている方もいらっしゃるかもしれません.
同書では,レゾリュートの航空会社のYYD69局との間で5281.5kHzで交信していたことも記されています.
なお同時期,このルートの西側にあたる同じエルズミア島のエドワード岬を起点に,植村直己氏がアタック.
3月6日に出発し,5月1日に到達しています.
(注.日付についてはばらつく記述もあります.
・いつを“極点”到達と見るか(“極点”といえどある程度の広さはあってしかるべき,ましてGPSもない時代)
・現時時間か日本時間か
によります.
これは日大隊についても同様です.)
CQ誌の記事では「アマチュア無線は使わない」となっていますが,映画『植村直己物語』で日本の奥様との交信シーンが出てきます.
同書では,植村氏と日大隊ベースキャンプとの交信シーンにも触れられています.
しかしそれがアマチュア無線なのか,業務用無線なのかは読み取れませんでした.
結局,「氷上ヨット」によるアタックは断念され,帰国されています.