だんだん判ってきました. 書籍・Web記事などでは誤解を招く表現が多いので――というか間違っている――極力正しくまとめます.
概 要 | 形式 | 告示 | 施 行 | 備 考 | ||
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既設局適用 | 新設局適用 | |||||
JXAX | S2.9.10~ | |||||
JXAX形式からJ1CU形式へ | J1CU | S3.10.19 | S4.1.1 | S3.10.20~ | 既存局は所定日に一斉変更. 新規局は告示翌日から新形式で発給. |
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J1の全局がJ2に | S9.1.24 | S9.2.1 | 所定日に一斉変更. | |||
新潟県の全局がJ6からJ2に | S11.11.28 | S11.12.1 | 所定日に一斉変更. | |||
第 二 次 大 戦 | ||||||
J2GHQ | S21(1946)? | 占領軍の初期のコールサインは1×3形式. | ||||
占領軍の | J2~J7がJA2~JA7に | JA2AV | (免許人宛個別通達) S23.11.5 |
S24.1.1 | ? | 所定日に一斉変更. |
J9がKR6に | KR6NA | ? | S24.1.1らしい | ? | ||
小笠原の米軍属がKG6Iを使うように | KG6IJ | ? | S24(1949)? | |||
駐留米軍のJAがAMRSのKAに | KA2AV | ? | S27.6 | 日本人局の再開を前に移行. | ||
信越のJA1WがJA0に | JA0AA | (通達) S29.11.27 |
(通達) S29.12.15 |
S29.12 | 所定日一斉変更ではない.
強制ではない. |
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北陸のJA2WがJA9に | JA9AA | (通達) S29.12.15 |
S29.12 | |||
小笠原の返還で米軍属のKG6IがKA1,KA2に | KA2IJ | ? | S43(1968) | |||
沖縄の返還で | 日本人のKR8がJR6に | JR6AA | (通達) S46.12.20 |
S47. 5.15 | 所定日に一斉変更.
新規局には別ブロックJR6QUA~を発給. |
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KR6の米軍属がKA6のAMRSに | KA6AA | ? | S47. 5.15 |
1927(S2)年のワシントン会議の結果を反映しての変更. 実験局のコールサインが「国籍+数字+最大3文字」と決まったため. 既設局については1928(S3)年10月19日に告示され,翌S4年の元旦から施行が求められた. 新設局については翌日1928(S3)年10月20日以降,「国籍+数字+最大3文字」の新形式で一足早く発給されている. なので「1929(S4)年1月1日改変」というのは,厳密には誤り.
1932(S7)年のマドリッド会議の結果を反映しての変更. 実験局のコールサインの数字で「1,0」の使用が禁止されたため. アマチュア局については例外で「1,0」の使用が可能. 以上のルールは70年以上経った現在においても同じ.
しかし!,当時の日本では,アマチュアは「実験局」という位置づけだったため, 「J1」の全局は「J2」に変更させられることとなる. このとき「J2C~F」が名古屋逓信局管内,「J2G~Z」が東京逓信局管内と細分化された. 1934(S9)年1月24日に告示され,2月1日から施行されている. この1月24日~2月1日の間に,新設局はない.
1936(S11)年10月15日,「東京逓信局」が次の二つに分離した(カッコ内は管轄):
これに併せ新潟県が「仙台逓信局(J6)」から移管された. この移管を受け,新潟県の局はJ6からJ2に変更となった(1936(S11)年11月28日告示,12月1日施行). 影響を受けたのは計10局で,内訳は官設2,私設学校2,私設個人6.
1947(S22)年のアトランティックシティ会議の結果を反映しての変更. 日本への呼出符字列の割り当てが「Jの1文字」から「JA~JS」に削減されたため. 1948(S23)年11月5日に個別通達され,翌1949(S24)年元旦(アトランティックシティ条約の施行日)から施行されている.
一方,沖縄はJ9からKR6に切り替わった. 切替時期の確証は得られていない. しかしQST1949年3月号のカントリーリストで沖縄はKR6として掲載されていることを鑑みると, 本土のJAへの切替と同時期であったと想像する. サフィックスのブロックとしてはJ9AAA~J9AZZのように,A限定だった.
QST 1949年3月号のカントリーリストでは,小笠原はKG6IA-IZと掲載されている. ただしWeb検索した交信記録で遡れるのは,S38(1963)年ころまで. (また硫黄島でJA0を使っていたという証言・記録もある(JA2RM や FEARLのアワードのデザイン).)
日本人によるアマチュアの再開を前に,占領軍JA局はKAのAMRS(Auxiliary Military Radio Stations)となった. JA2RMによると,切替時期は日本人によるアマチュア無線の再開目前の1952年6月.
1954(S29)年11月27日付『郵波陸第2783号』でJA0,JA9を設けることが決まり,本省から両電監あてに通達された. 以降,信越・北陸側とも1954(S29)年12月15日付で免許人あてに通達をしている.
これ,強制一斉切替にあらず.
当時の局免許期間は3年間. 切り替えなかった局は,再免許の際にJA0に指定替えさせられた.
また,このタイミングで「信越電監」「北陸電監」ができたわけでもない.
1947年に「長野逓信局」「金沢逓信局」が(再度)生まれているし,
1949年施行の電気通信省設置法によっても,「信越電波管理局」「北陸電波管理局」はすでに置かれている(このときは「管理」の字を使っていた).
S43(1968)年に小笠原は日本に返還される. 以降,KA1,KA2が使われた.
これは強制一斉切替.
軍関係者はKA6局として存続できた. しかし軍属以外は,アマチュア無線をあきらめざるを得なかった.
KA6はもともと四国地方に割り当てられていたブロック. しかし開局実績がなかったことから,沖縄に〈転用〉されたものと想像する.