こちらは鳥島 ポータブルJB8

Return to Untold Facts

こちらは鳥島 ポータブルJB8  [JG1KYL, JJ1WTL]

かつて,「/JB8」という運用がありました:

 

QTHは『鳥島』です.

運用があった1963(S38)年当時,お隣の小笠原はまだアメリカによる統治の時代で,KG6Iというエリアでした.
そこで,あわよくば鳥島もニューカントリー――という狙いだった模様です.

まずは時系列でまとめますと...下表のとおりとなります:

時期使われたコールサイン移動地表示 解釈
1 1960(S35)年夏頃~JA1EEB(/1)
JA7QQ/1
/1 鳥島での運用は1960(S35)年からあった.
ただしこのときは「/JB」は使われておらず,単に「/1」.
2 1961(S36)年10月~
1962(S37)年秋?
JA1EEB/JB(?運用未確認)
JA7QQ/JB
/JB 1961(S36)年の上陸を前にして,「/JB」が定められた.
3 1963(S38)年JA1BRK/JB8
JA1HQG/JB8
JA1KHG/JB8
JA1WU/JB8
/JB8 1963(S38)年の運用はそれをマネし,「/JB8」とした.
(「8」はシャレで,「ウソ800」の「8」.後出.)

雑誌の記事,Web掲示板の記事からご紹介します.

RL誌1988年10月号から

こちらは鳥島 ポータブルJB8

JA1BRK/JB8他(日本・鳥島)

 1963年(昭和38年)8月、伊豆諸島にある「鳥島」に、日本のアマチュア無線 家グループ4名が渡り、自局に免許されているコールサインの後に法的根拠のな い「JB8」というプリフィックスを使用し、14MHz帯のSSBとCWで多数と交信する という出来事がありました。

 鳥島は、当時日本本土とは別のカントリー(アマ無線独特の国家地域分類法)に カウントされる可能性があるということで当時話題になったところです。(結局 カウントされなかった)。

 この、法にないコールサインを使用しての運用は、電波監理局(当時)でも問題 になり、メンバーは本土に帰ってから事情聴取を受けました。そのため発行され たQSLカードには発行者のサインがなく、小さく「Unofficial」というゴム印が 押してあります。なお、この時の運用メンバーの一人、JA1HQG・有坂氏は、現在 JARLの常任理事。最近では、JA1LG・岩瀬氏の問題における「会員除名調査委員 会」の委員をされました。

※写真として「/JB8」のQSLを掲載。

CQ誌1963年10月号のDX欄「Worked & Heard (July20-Aug25)」から

/JB8」でレポートされています:

JA1BRK/JB8 09-15 14CS

注釈としてはつぎのとおりです:

鳥島 他に1HQG、1KHG、1WU JB8コールが正式なものか否かは不明

BBS「AH0R」 #112~117 から

AH0RのBBSでの会話によると,それ以前に「/JB」という運用があったそうです.該BBSの
http://bbs8.otd.co.jp/874815/bbs_tree?range=6&base=117(リンク切れ)
で触れられていました.#116の一部を引用させていただきます:

116 代わりに伺いました。 JA1CCO 2003/10/07 08:34

JA1BRK/米村さんのお話によると、米村さん達の運用の前に、 気象庁職員の運用があり、その時/JBとやっていたので それを真似て/JB8としたそうです。

JBでの運用  [JG1KYL]

1961年11月号115ページのDX欄トップ記事で、 “JA-/JB”「鳥島」運用再開 という見出しの記事が出ています。 内容は、気象庁ハムグループのJA1EEB、JA7QQの2名が1961年10月 から62年秋まで、昨年に引き続いて運用する、といった趣旨のものです。

ここですでに「/JB」というプリフィックスが登場しています ので、“昨年”の運用、すなわち1960年の両局の鳥島における運用 で、/JBが使われていたのかを調べるため、再度1960年のCQ誌と 格闘しました。

その結果、両局の鳥島からの運用に対する受信(交信)リポートは 1960年夏頃からたびたびDXリポート欄に掲載されていますが、 JA1EEB局は「JA1EEB」として、またJA7QQ局は「JA7QQ/1」として 記載されており、「/JB」の記述は発見できませんでした。 また1961年9月号128ページには、JA1EEB局の鳥島運用のQSLが写真で 掲載されていましたが、ここにも/JBという文字はありませんでした。

少なくとも1960年、61年のCQ誌の誌面からは、両局が「/JB」と いうアナウンスで電波を出した事実は確認できませんでした。 1961年11月号の見出しでいきなり登場した「/JB」の文字が、 不思議でなりません。

JBでの運用(続)  [JJ1WTL]

JARLの資料室でさらにCQ誌と格闘してみました.
前述のCQ誌の記事以降,すなわち1961年以降は,たしかに「/JB」で運用があったようです:

1961年12月号
p.109



1962年2月号
pp.120-121

「“JA-/JB”「鳥島」運用再開」の記事にもこれを伺わせる記述がありますね:

昨年この島からオンエアした両局の成果は7QQ/1(200局),1EEB/1(500局)で90%以上がJAとの交信であったことは周波数が40mに限られていたことにも大きく影響しますが同時にPRとコールサインの示す地域性も同時に否定できないものでありましょう。

と,「コールサインの示す地域性」,すなわち,「/1 ではダメ」だと主張しています.


JA1HQG著『わたしは無線局長』  [XU7AAA]

JB8の件ですが、 日本に居たときJA1HQG 著のたしか「私は無線局長」との本でJA1BRK 等と実行した、JB8 QRVのことが出ていたのですが・・・

確か運用後 デンカンの JA1ZZ に呼び出された様なことが書いてあったと、記憶していますが???

JA1HQG著『わたしは無線局長』(続)  [JJ1WTL]

ひさかたぶりに国会図書館に行ってきました.するとたしかに,該当の記述がありました!!
『趣味の世界5 わたしは無線局長』 日本放送出版協会 S50.12.20刊 の,pp.117-136です.
関連部分を抜粋します:

 

この記事では四人でなく“三人”として触れられていますが,それは有坂,古谷,米村の各OMのことです(順に,JA1HQG,JA1KHG,JA1BRK).
のこりのJA1WU・倉内OMは,「気象庁の職員で元から鳥島にいた」ということですね.


QSTでの記述  [JJ1WTL]

QST誌では以下の記述が見つかりました.順に1963年10月号p.91,1963年11月号p.78です:




US-CQでの記述  [JJ1WTL]

US-CQ(CQ Magazine)誌では以下の記述が見つかりました.1964年3月号p.61です:

「アメリカの雑誌には写真入りで大きく報道されたし」というのは,コレですね.


JARL NEWSでの記述  [JJ1WTL]

JARL NEWSでは以下の記述が見つかりました.1963年10月7日号#281です:


Return to Untold Facts
July 24, 2016, Ryota "Roy" Motobayashi, JJ1WTL