電波新聞1969年2月21日(金)5面に『関東地区はJR1?』が掲載されています。
以下要約
1969年2月10日現在JH1SYRにまで達し、間もなくJH1コールも
満配となるところから、JR1コールをこのほど内定した。
JRコールは一部国鉄で使用しており、呼出しの混乱などを考慮
するとこのJRコールも国鉄側がこれを変更するのではないかと
みる向きもある。
「電波新聞」の縮刷版が見つかりました!
どうも,このころの電波新聞は,火曜日と金曜日に『ハム欄』,のちに『ハムコーナー』を設けていたようです.
「アマチュア無線の歴史」という連載もあり,ちょうどこの日は関連する話題に触れていますので,
こちらも併せて紹介します:
電波新聞 1969年(昭和44年)2月21日版 5面 ハムコーナー |
コール,JD1を内定
郵政省電波監理局は,近く小笠原諸島に対しアマチュア無線局を免許するもようで,コールはJD1となる.
日本アマチュア無線連盟(JARL,村井洪会長)はかねて電波監理局に小笠原のアマチュア局免許を要請してきたが, 昨年六月二十六日,小笠原諸島が日本に返還されて八ヵ月,ようやくアマチュア無線界にもよろこびのJD1コールが免許になる見通しとなった. このJD1コールの免許について電波監理局では「まだ決定はしていない」と回答を避けてはいるが, 許可内定については,移動の規制などもかなり明確化しているようである. また関東地区(JA1,JH1)の次期コールについては,二十日現在の最終コールがJH1SYRまで達し, YおよびZコール(社団局)を除くと間もなくこのJH1コールも満杯となるところから,JR1コールを内定した. アマチュア無線局の数は,毎年二十%程度の増加率で推移し,昨年十月には七万局を突破するという勢いでふえつづけているが, なかでも関東地区は全国に先がけてJHコールを使用し,これもいっぱいとなるまでにきている.
こうした現象は過渡的なものであったとしても,関東地区は多い月で八百局,少ない月でも五百局ぐらいの免許がおりているわけで,
この分ではJR1コールも二年半ぐらいでいっぱいとなる可能性が強く,早くも先のことが懸念されるありさま.
小笠原のアマチュア局免許と, さらに既報の電信・電話級アマチュア無線局に対し「いかなる一〇W以下の送信機を使用しても一〇Wまでの申請を認める」 という電波監理局の方針ともからみ合わせ,電波監理局のアマチュア無線に対する姿勢が徐々に緩和され,抱括免許に近づく傾向にあるという見方が強まってきている. アマチュア無線の歴史(35) えびな ひさを
<昭和四十年>一月下旬に関東地方ではJA1SFZまで免許状が発行され,
三文字コールサインもそろそろあと約三千を残すのみとなりいよいよその次の前置符号を考えなくてはならなくなってきた.
七月一日になってJAの次はJHと決まったが
アマチュア側の要望を入れて呼び出し符号はJH1AAAの三文字から始まることになった.
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