このコールサインは,もともと北川OMが昭和28年に予備免許を受けました.
しかしOMの管外への転居によって,ずっと空いていたものです:
現在は,
氏が,昭和45年ごろにその局を廃止して,JA3MXの新設という形で免許をもらわれています.
元々のオーナ,exJA4GG・JA3AAC北川OMがお書きになったWeb記事:http://www.jarl.com/ja3yaa/yaa-ja3aac.htmの中に,
予備免許を受けていたJA3MXを取り消し、中国電波管理局へ申請に行き、同年11月17日付けで予備免許をうけました。
――とあります.
元々の所有者は,JA3IGでもあられる
でしたが,現在は,
氏が,このコールサインをもらわれています.
元々の所有者は,
でしたが,ずっと空いていました.
それが突如,この方が現れます:
この局が掲載されているコールブックは,唯一,この版のみ.
この前後の時期のものには掲載されていません.
(郵便番号は誤っていますね.)
ついで昭和60年ころ,かの,
氏が免許を受けています.
現在は,総合通信局からの指導――同一管内では一つのコールサイン――に従ったためでしょう, 平成14年にJA1NZを廃局されました. 総合通信局に廃止データが残っていますので,以後いつか機会があれば既得コールということ で再びJA1NZで開局が可能かも知れません.
なお,正しくJA1NZが発給されたのは,昭和28年1月ごろのことです.
元々の所有者は
でした.それが
となりました.
めずらしいことですが,本件については二代目JA1BF鈴木OM本人の自供が取れております.
曰く,“なれのはて”(CQ誌1960年2月号臨時増刊『モデル・アマチュア局集』).
初代 増永OM関係
JA1BFの免許を受け,その後JA1TVも開局し,JA1BFは廃局.
・S27.12.24 JA1BF(初代)が免許
・S29.1.14 JA1BFで50MHz帯を撤去
・S29.4.21 JA1TVも免許(同一QTHで,50・144MHz帯を別免許化)
・S29.10.30 JA1BF(初代)を廃止
二代目 鈴木OM関係
最初にJA4FIで免許を受け,関東に移管した際,JA1BFJに.
その後,鈴木氏が,以前増永OMが廃局し空いていたJA1BFを(どういう訳か)受け,二代目JA1BFに.
・1954(S29).11.9 JA4FIを開局
・1955(S30).5.2 JA3OAも開局
・1955(S30).12.1 JA3OAを移動局に
・1955(S30).12.22 JA4FIで増波
・1956(S31).9.3 JA4FIを関東に移管し,JA1BFJに
・1956(S31).9.30 JA3OAを廃局
・1959(S34)まで JA1BFJ→JA1BFに変更
なお,コールブック上のJA1BFは,以下の変遷となっています:
・1953(S28)版 … 増永OM
・1955(S30)版 … 空欄「廃局」
・1957(S32)版 … 空欄「廃局JA1TVに変更」
・1960(S35)版 … 鈴木OM
また,二代目JA1BFの“バッファ”となったJA1BFJの掲載状況は,以下のとおりです.
1960年版では「JA1BFへ変更」と宣言されています:
〔Special thanks to JL7WTG〕
渡邊英興OM(1991年版コールブックによる)も,JA1の再割り当て以前に,このコールサインを得ています.
しかし元々の所有者は,
でした.本来の発給時期は昭和32~33年ころになります.
南極の作間OMですが,「南極観測隊にふさわしいコールサイン」と文部当局を納得させるため, 周囲のサポートの元に元々の所有者:
に廃局届を出してもらって,譲り受けたものです.
のちに巨海OMは,JA1CETを得ています.
JA1WA~ZZの再割り当て時の話ですので,ちょっと違うのですが,JA1CO-XYLのJA1YL,元々のコールサインは,JA1BTTでした.
JA1WA~ZZの再割り当て(1958年1月受付開始)に乗じて,JA1BTTからJA1YLに“サッと入れ替えた”ように見えますが,入れ替わり前のわずか一瞬を捉えたのはこの記事だけ.
ここ以外ではしっぽを掴めていません.
当時の資料――局名録・官報――を見ましても,JA1BTTは,「何事もなかったかのように」他のOMに割り当てられています.
このページ,たまたま『崖の上のポニョ』に登場したJA4LLが載っていましたので,長めに引用しました.
類似例として,「新規に移動局を作る」といった手?によって,2文字コールを得た方々もいます:
3文字 | → | 2文字 | |
JA1BEU | → | JA1XD | |
JA1BFI | → | JA1ZZ | |
JA1BJO | → | JA1WD | |
JA1BMS | → | JA1XV |
いまでこそ「1コール/エリア」ですが,初期はむしろ,「別設置場所」・「固定と移動」でコールを分けていました.
1968年のコールブックから,“片寄せ”の具合をまとめてみます:
●若番に統一 JA1AAI→JA1PA JA1AJW→JA1FG JA1AMP→JA1LJ JA1AMU→JA1JU JA1ANC→JA1AJY JA1ANL→JA1TK JA1ATX→JA1KI JA1AUE→JA1KG JA1BFJ→JA1BF JA1CMO→JA1KG JA1CSQ→JA1BYJ JA1EQI→JA1IX JA1FCR→JA1QW JA1IGC→JA1AN ●老番に統一 JA1ADF→JA1CTD JA1AEV→JA1BDR JA1AJP→JA1AKP JA1AQB→JA1AYB JA1BKQ→JA1BQR JA1CSZ→JA1OUB JA1DHS→JA1OHX
JA1AJWとJA1FG.設置場所が違っています:
旦那さんJA3HWがお持ちだった「もう一つのコールJA3NY」――学校に開設――を,追ってXYL(?)が継承しています.
JA3HWの推移.1954(S29)年の開設後,バンド割り当て化,移動局化が図られています.
JA3NYの推移.1955(S30)年の開設後,1956(S31)年に廃局されています.住所は「北野中学校」のものですので伏せません.
のちにこれがXYL(?)に引き継がれました.