アマチュア無線通信教育史

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■国家試験教育センター (国教)

1977年のラ製を辿っていて見つけました.

いつから?

さっそく追い込みますと,1976年1月号が初出でした.

受講料

6,800円となっています.

『CB無線の会』

1976年8月号からは,『CB無線の会』の広告も加わっています.
『国家試験教育センター』の下に,
 ├(1)『アマチュア無線部』と
 └(2)『CB無線の会』
という建て付けです.
「CBからハムへ」という移行需要の取り込みを図ったのでしょう.

いつまで?

その後,遅くとも1977年9月号までには,CBだけの広告となって,通信教育の広告は消えています(1977年5〜8月号は未調査,∵時間の都合; 1977年4月号では双方掲載).
この1977年9月号ではまだ 「特別奨学金2,000円 ハム通信講座へ進級の方」 というキャンペーンも張られていますから,完全に終了したわけではなかったようです.
それも1977年11月号からはそのキャンペーンも姿を消し,名称も『日本CB無線協会』に完全に替わっています.
ただし,宣伝文句の一つとして,“進級できる”の表記は残っています.

『日本CB無線協会(JCBA)』

『日本CB無線協会』になってからも,「“進級”したい方むけ」としてアマチュア無線コースが維持されていました.
この「コース」についての言及は,ラ製1984年7月号まで掲載されています.

ついでに調べますと,CBの「QSLビューロー」の広告掲載期間が追い込めました.
「ラ製」にて,1980年12月号〜1982年9月号でした.

『日本パーソナル無線協会(JPR)』

さらに1980年台には,『日本パーソナル無線協会』の広告もあります.
ラ製1980年1月号〜1984年7月号で掲載されています.

つづく1984年8〜9月号では『日本CB無線協会(JCBA)』の広告だけとなり,
それ以降は双方の広告とも消えています.

『日本ワイヤレス放送協会』

なお,途中『日本ワイヤレス放送協会』として,『FMワイヤレス放送の会』も立ち上げています.
しかしこちらは,ラ製1980年2月号でしか見つかりません.

図で整理しますと以下のようになります:

アドバイザー

この団体のアドバイザーは,JA1AJQ大沢幸夫OMです.

所在地

練馬区中村北3-11-1のまま.
同じ住所で『日本CBマガジン社』の広告も載っています.

まとめ

結論として,『国家試験教育センター』による通信教育は,1975年(1976年1月号掲載なので)から1977年まで,その後『アマチュア無線コース』として日本CB無線協会・日本パーソナル無線協会の中で継続 と解釈できます.

類似組織の整理

以下は似ていますが異なる団体です.

CB

パーソナル無線


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Aug. 19, 2012, Ryota "Roy" Motobayashi, JJ1WTL